父と母

いわゆる九州男児でプライドが高く癇癪持ちの父と、いわゆる田舎の嫁として嫁として妻として母として完璧を求められてその役目を果たそうと必死に乗り越えてきた母。この組み合わせはなんだかんだでバランスが取れていたのかもしれません。両親は2年前に金婚式を迎えました。時代としても簡単に離婚もできなかったのかもしれません。母は「離婚して1人で私たち子ども2人を大学まで進学させることはできないと思ったから自分一人が我慢すればいいと思って我慢してきた」ということをことあるごとに私に言ってきました。父の癇癪を起こしたときに母が苦しんでいることを知っていたので、離婚してしまえばいいのに…と思っていましたが、母が私たちを大学までやりたいと思って信じて頑張っているので何も言えませんでした。

私が子どもの時の話です。両親は自営業の共働きで家に帰ってくるのも19時頃とか遅いんですよね。田舎なので近くにお店もないし、お腹がめちゃくちゃ減って母たちの帰りを待っていました。やっと帰ってきてそこから母が夕食を作ってくれます。21時近くに食事ができて、やっとみんなでご飯食べようと思ったら、父が癇癪を起こして食事の乗ったテーブルをひっくり返したことがありました。凄くショックで悲しかったのを覚えています。私たち子どもにはなんとか難を逃れた食事を母は食べさせてくれました。父があの時なぜ癇癪を起こしたのか、あとから母に聞いたのは母が「子はかすがい」という話をしたそうです。父はそれを聞いてキレたそうなんですが、おそらく子どもがいなかったら夫婦は成り立たないのか、子どもがいなかったら母は父と一緒にいないのか不安になったのかなと思います。テーブルをひっくり返さずに「たとえ子どもがいなくても夫婦仲良くしようね」と言えたら、すごく可愛いのに。残念ですが父にそれは不可能なんでしょう。

家族旅行はよく連れて行ってくれました。ツアーに参加することもありましたが、ある時別の家族で優しいお父さんがいらっしゃいました。見方によっては尻に敷かれているような…。そのお父さんを見て母は「あんな人にはついていけない…」とぼそっとつぶやいたんですよね。その時私は母は好きで父と一緒にいるんだなと納得しました。父は母が離れたところで寝ると機嫌が悪くなるので未だに一緒のベッドで寝ています。頭の位置は互い違いですが…母はなんだかんだで父のお世話をするのが好きで、父はお世話されるのが当たり前。凸と凹がぴったりなのかなと思います。

私はその両親を見てきて、結婚って大変。私には無理と思うことが多かったです。私は母のような生き方は無理。父の姿を見てきたせいで結婚できなかったんじゃないかと思っていましたが、よく考えたら1人でいるのが好きなんですよね。1人が寂しくもなりますが、それでも他の人に合わせないといけない生活はやっぱりできない。人とある程度距離を保っているほうが私はその人を大事にできます。結婚できなかったのを誰かのせいにしたかったんですが自分が選択したことです。父が知らないうちに自分のせいにされていたら父も可愛そうですよね。

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