私の父はいわゆる九州男児なのかな〜と思います。プライドが高く、傷つくと癇癪をおこす。どこに癇癪のスイッチがあるか分からないので、何でも話せる関係ではなく当たり障りない会話しかできない関係でした。一番の被害者は母で(母に対する甘えがあったと思いますが)、父が癇癪を起こすと物を投げるのでガシャンガシャン音がかなりするので、子どもの時はすごく怖かったです。父がキレ始めたら母と兄と私の3人で仲間になって、父の怖さに対抗するという関係図だったと思います。そして壊れたら困るもの(安くないもの、電化製品など)を隠すように3人で協力していたのを記憶してます。私に対してキレたのは一度だけです。両親は自営業をしていて、自宅の向かい側に事務所があります。その日の夕方は父と私の2人だけいて、事務所を閉める時間がきました。窓を閉めようとしたときに届かなかったので私は机に登って窓を締めました。そのときに私の足元に急須が投げられて、破片が私まで飛んできました。急須を投げた父がそこに立っていて、その音を聞きつけた母が飛んでやってきました。「怖かったね」と声をかけてくれました。その日ちょうど父から机の上に登ってはいけないと話されていましたが、父が事務所の戸締まりをするのを手伝おうとしたのに急須を投げられたので、びっくりして思考が停止してしましました。口で「窓を閉めるとしても机に登ってはいけない」と言えば良いんですが、言葉で伝えるのが苦手で手が出てしまったんだと思います。子どもの時はどうしても許せなくて、父に対して心のシャッターを下ろすことにしました。普通に接しますが、信用しない、期待しないことを心がけるようにしました。
40歳前ぐらいまでは父に対してそのスタンスを頑なに貫いていましたが、ここ数年で父に対しての思いが変わってきています。父が歳をとったということもあるかもしれません。兄がほとんど入院しているので、今年80歳ですが今でも社長業は現役です。とはいえ仕事を実働は母が担っていますが…。ユンボという穴を掘る機械に乗るのは好きで、その仕事のときはイキイキしています。最近思い出しましたが、子どもの時お人形さんを1つも持ってないことを両親に言ったら、父と母が同じ日にお人形を買ってきてくれたことがあったな…と思い出したんです。実家から自分のマンションに私が戻る時必ず父は「気をつけてね」と言います。ここ2、3年仕事がきつくなってきたとき、あの父が初めて「仕事はどう?」と声をかけてくれました。私が「やっぱり無理」という話を聴いてくれました。私は父の人間関係を作るのが苦手なところを遺伝で引き継いだんだろうな…と思います。父は人に対してうまく振る舞うのが下手なだけで心はちゃんとあるのかなと思います。変で扱いにくい人なので、誰にも介護してもらえないような人なので、私が最後見送りたいな…と思います。